質問してほしい
うちの塾では、問題を解く時間をたっぷりとりたいので「教える」ということは最小限にしたいと思っています。
どんどん問題を解いてもらって、いっぱい間違えて、そこから何かを学んでほしいのです。
試行錯誤して、答え合わせをし、問題の解説を読み、理解し納得したうえで新しい問題に対応できるようにしていく。
そういう学習をしていれば、どこかでつまづくだろうと思うのです。
一人でどんどん先に進んでいける生徒はごくまれだと思います。
そうじゃないから塾を利用するわけで。
せっかく塾に来ているのだから、どんどん質問してほしいのです。
最初はしょうもない質問でもいいのです。(決して「しょうもな」とは言いませんのでご安心を)
質問するうちに、質問のレベルは上がっていくのです。
「ボクはこう考えたんですがあっていますか?」「ワタシは違うやり方でやってみたんですけどあってますか?」みたいに。
塾に来て間のないうちは「わからんとこない?」とか「ここはなんでまちがえたん?」と声を掛けます。
ついでに雑談もします。
気軽に質問できる環境は整えているつもりです。
それでも、「質問する人」と「質問しない人」に分かれていきます。
面倒くさいを乗り越える
ボク自身は質問は極力しないほうでした。
とにかく自分で納得いくまで調べていました。
それでも無理なやつは放置していました。←一番ダメなやつ
質問しない理由をボクなりに予想してみました。
1.面倒くさい
2.わからないことを認められない
3.わかったと思っている
4.質問のしようがない問題を解いている
いろいろ考えてみると、極端に勘違いしていない限り、結局「面倒くさい」に集約されるのではないのでしょうか。
面倒くさいから質問しない。
面倒くさいからわかったことにする。
面倒くさいから間違えたところも見直さず放置する。
面倒くさいから質問が出ないような勉強(作業)をする。
学習者の皆様、いかがでしょうか。
面倒くさがっていませんか?
そりゃ、確かに質問すればどこが間違っているのかを指摘されたり、自分で見つけさせられたり、類題やさらに練習問題を持ってこられたりしますよね。
面倒くさいですよね。
わかります。
それを乗り越えて本当にできるようになっていくと、違った景色が見えると思うのです。
できるようになるとスラスラ問題が解ける、たくさん解ける、たくさん解くから理解が深まる。
面倒くさい壁を乗り越えるといいことづくめなのです。
質問できる人
素直な人が多いという印象です。
わからない自分を素直に受け入れられる。
アドバイスを素直に受け入れられる。
眠たいときは素直に「ちょっと寝ます」と言える。
勉強に疲れたら素直に「ちょっと休憩します」と言える。(質問しない人はこそこそスマホをいじったりしがち)
いいことも、そうでないことも総じて素直な印象ですね。
結論
自分に正直に生きよう