「わかっていない」ことを自覚する
できないことが恥ずかしいと思っている場合
よく思うのは、わからないことやできないことを恥ずかしがらないでほしいということ。
何をするにも最初からバリバリできる人なんてごく少数。
みんな、いろんな失敗を重ねてきたから今「できる」という状態になっているんじゃないのでしょうか。
だから、初めに自信をもって「わかりません」「できません」と言ってほしい。
何も恥ずかしくない。
わからないときは質問してくれるとありがたい。
質問してくれると、それが自分で調べればわかることなのか、どうしようもない問題なのかをこちらが判断できるのです。
「わからない」「できない」ことをそのままにしておくことが恥ずかしいことであって、はじめの「できない」は全く持って恥ずかしくないということを強く訴えたいし、そういう考えをほぐしていきたいです。
できると思っている場合
意外と多いこのパターン。
定期テストでそれなりの点数をとれているけど、実力テストではとれなかったり、間違えた問題をただのミスだと思っていたりしているパターン。
この場合、わかっていると思っているのでなかなか質問することをしてくれないので、テストの答案を一緒に見てこちらから質問攻めにしたり、問題を解いているやつを見て質問してみたりすることでしか見つけられないかもしれません。
たまに質問が来たと思ったら、めちゃくちゃ難しい問題だったりして基本事項を確認すると全く理解できてなかったりするという。
そのタイミングでやさしく「わかってないよ♡」と伝えます。
その問題に挑戦できるほど土台ができていないということを自覚してもらいます。
そこですぐ「自分はわかってない!基本に立ち返らなくては!」となってくれればいいのですが、今までの習慣を変えるのは至難の業。
少しずつ改善してもらえるように働きかけるしかないです。
少しずつでいいので改善してくれればと。
最近では「圧力って何?」「速さって何?」「輪中ってどんなやつ?」「副詞って何?」などなど。
定義だったり文法だったりを人に説明できるくらいに理解できているか、覚えているかをいちいち確認するようにしています。
それが当たり前になってくれるまで。
開き直っている場合
できなくてもいいやと思っている人は塾に行く必要はないですね。
ただ、自分には「問題の解き方を覚える」しかできないのでそれでいくしかないという人もいます。
まず最初に解き方を覚えようとする人。
「何やっているかは理解してないけれど、答えは出せる」というやつです。
問い方を変えられたり数値を変えられたりするともうお手上げ。
こちらとしては、すぐに限界が来ることを知っているので何とか改心してもらおうとするのですが、やっぱりそういう事態に直面しないと実感できないというか、想像できないというか、まず理解しようとする方針にシフトしてくれることは少ないです。
どうにもならないところで「変わらなくては!」と思ってくれるだけありがたいです。
そこであきらめてしまう人も多いのではないでしょうか。
「速さって何?」といったときに、「距離÷時間」と覚えるのではなく「1時間に進む道のり」とか「1秒間に進む距離」というほうが健全なのではないかと思うのです。
結論
書いているうちによくわからなくなってきました…
とにかく勉強というものを「できない」ことを「できる」ようにするだと思っているので、まずできていないんじゃないか、わかっていないんじゃないかと疑ってみてほしいというお話でした。
追記
「数学ガール」の著者も同じこと言っています。
何かが「わからない」ことは恥ずかしいことではない。実際わからないことは避け難いときもある。
でも自分自身に対して「わからないのにわかったふりをすること」はとても恥ずかしい。自分に対して「私はこれをわかっていないけど、わかったことにしちゃえ」と振舞ってはいけない。
— 結城浩 (@hyuki) February 27, 2019