横浜国立大学AO入試合格体験記

塾の話

記事を整理していたら、まだこの世に出していない記事があったのでこの機会に紹介します。

面白い文章なのですが、なかなか癖のある合格体験記ですので心して読んでください。

ほぼ原文のままです。

 

この記事を書くに至った経緯

私は実際に横浜国立大学のAO入試を受験し、そして無事に合格することができました。こういうとまるで私が然るべき努力を尽くし、その結果当然のように合格できたかのように聞こえるかもしれませんが実際にはまさに手探りでの挑戦でした。精神はボロボロになり、何度も挫折しかけた私がそれでも合格できた理由はどこにあるのか。これから横浜国立大学のAO入試を受験したいと考えている方が私のように不安でおなかを傷めないように私なりの手助けができればと思い、この記事を書くことにしました。

 

横浜国立大学AO入試について事前に知りえた情報

私の横浜国立大学のAO入試につての主な情報源は大きく分けて二つでした。一つは横浜国立大学から提供されるもの、そしてもう一つは学校側が提供してくれたものです。前者は横浜国立大学のホームページやパンフレットから獲得できるものであり、学習内容やアドミッションポリシーなどの志望理由につなげれるものが多くあります。実際に私は志望理由書に自分がアドミッションポリシーにかなっているということや横浜国立大学でしか学べない内容があるといったことを書きました。

思いの丈

私は猛烈に怒っている。受験体験記なるものの指示通り私は自信の面接練習において、問われるであろう質問に完璧な答えを用意してまで挑んだというのに、田舎者である私が都会にトラウマを抱くには十分であるほどの精神的ダメージを残してくれたのだから。まず、私が許せないことは受験体験記における虚偽の記述である。そこには面接時間は約三十分だの自己PRを五分程度でいわされるだの書かれていたが全くの大嘘である。私は自己PRは言うまでもなくさらにそこから横浜国立大学の輝かしい経歴をほめたたえにかかるという黄金プランを用意して挑んだのに、彼らときたらそんな質問はおろかなんと私に神戸大学があるのだからどうしてそっちに行かないのだと言う私の受験意義を疑うような質問を続け、田舎侍はおとなしく地方国公立大学にでも行ってろと言わんばかりのプレッシャーを与え、挙句の果てには予想試験時間の約半分である12分で試験を切り上げるという暴挙に打って出る始末であった。いつから面接試験は受験者の心を摘む戦いに変わったのだと、ここはお花摘みならぬ心摘みの盛んな黄泉の花園かと、情緒の安定を欠いた私は自分でもよくわからない怒り方をしてしまったが、それでも今回の試験は人によってはトラウマにもなりかねない非常に危険なものであったことをみなさんには理解していただきたい。心に残るるものと言えばまだまだあるがその中から一つ、これは私の運がなかっただけだが試験の待合室での出来事だった。私は一番に待合室に入りまずパッションでもってほかの受験者とは一線を画すことを見せつけたつもりだった。しかし試験を受ける順番とは関係がなかったようで、一人ずつ呼ばれて試験を受けに行くのだが私は広い試験室に金髪のお兄さんと二人っきりになるまで呼ばれることがなかった。一人ずつ受験者が呼ばれるにしたがって、まさにわたしのこころの花弁がいちまいまたいちまいと摘まれていくように感じた。しかし呼ばれた順番と合否が無関係で本当に良かったと思う。話は変わるが第一次面接の際に私が自己推薦書にを書く上で注意したことについて少し話そうと思う。私の中で自己推薦書とは相手に自分という人間に対する興味を抱かせ、面接の際に相手の質問にウソ偽りなく答えるものだと考えており、その書き方に正しいも正しくないもないと考えていた。しかしこれは道徳や総合の授業時間に書くような作文ではなく自分の大学の合否に大きく影響するもであるというプレッシャーが私に普段のスタイルで文章を書くことをためらわさせた。そこで私は去年の合格者の作文例を分析することでなにか合格のパターンはないかと模索した。そして筆者が自分関する特徴的なエピソードに重きを置いて書いていることに着目して自分の中にあるエピソードを探した。しかし私には海外旅行やホームステイといったインパクトのあるエピソードが見当たらなかったため、ありふれたエピソードから自分が学んだこと、自分にしか出来ないであろう考察を交えることでこの問題に対処した。私がこだわったのはどのエピソードを書こうかといったことだけではない。むしろそれ以外のすべてにより細心の注意を払った。自己推薦書を読むのは同じ人間であるのだから内容に富むだけではいけない、そう考えた私はいかに読みやすい文書にするのかを多くの人々(塾の先生や学び舎の仲間を除く。なぜなら私の書きたかったエピソードは彼らと共に過ごしたことが多くあり、非常に恥ずかしいと感じたためである)に読んでもらって調整を重ねた。面接の際には外国人の教授も同席しており、面接の後半に(後半といっても12分のうちである)英語による質問をされるようだ。子のAO入試の申し込み資格として英検の級の保持が義務付けられており、そのレベルであれば問題なく対応できる程度の英語であったのでそれほど身構える必要はないと思われる。彼らは終止しかめっ面だったわけではなく感情のあるロボットといった感じだったため、私見だからと緊張しすぎて片言になったり自然体であることを欠いたりするのは非常にもったいないことである。相手に語り掛けるかのようにわかりやすさを意識して話せば相槌もしてくれるのでよりリラックスして話しやすくなると思われる。最後にAO入試で必要とされるセンター試験の点数であるが私には結局よく分からなかった。私が見た合格者の点数は数学と英語合わせて97パーセントだったが、私は実際には87パーセントほどしか取れなかったので正しい基準は測りかねている。もしAO入試なら楽に入学できるからと言ってそんな気持ちで横国を受ける人がいるなら辞めてほしい。それは個人の自由とかそういう話ではなくてただ単に学問とそれを学びたいと欲する者たちへの侮辱である。意欲ある者のためのAO入試がそんなやからに利用されるのは非常に悲しい。志を同じくするものと充実した大学生活を歩めることを願って今回の愚痴を終えようと思う。文法と加工性とか何も考えずに指を動かした結果こうなりました。先生が教鞭をとるこの塾に会えて、そして塾を通して普通ではできない体験を経験できて僕は本当に幸せ者でした。少しでも多くの学生がこの塾に出会えて、自分の納得できる学習に励めることを祈っています。

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